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岐阜地方裁判所 昭和51年(ワ)54号 判決

原告

伊藤幸江

ほか六名

被告

鈴木敏行

主文

原告らの請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

「被告は、原告幸江に対し四一八万五四四六円および内金三三八万五四四六円に対する昭和五〇年二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を、その余の原告らに対しそれぞれ一二九万五一四九円およびこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

(請求の原因)

(一)  原告らの地位

原告伊藤幸江(以下原告幸江という)は訴外亡伊藤重太郎(以下亡重太郎という)の妻、原告山中弘子は亡重太郎の長女、原告伊藤良弘(以下原告良弘という)は亡重太郎の長男原告松野弘邦は亡重太郎の次男、原告伊藤直治は亡重太郎の三男、原告伊藤重樹は亡重太郎の四男、原告森屋正治は亡重太郎の五男である。

(二)  交通事故の発生

(1) 日時 昭和五〇年二月二二日午前八時三四分頃

(2) 場所 岐阜県恵那郡山岡町馬場山田地内、国鉄明智線仲田踏切軌道上

(3) 天候 曇

(4) 加害車両 普通貨物自動車(岐四四ね四三六二号、保有者兼運転者被告)および国鉄デイーゼル車(運転者梅村満)

(5) 態様 被告は、居町寺尾部落に赴くべく、亡重太郎を助手席に同乗させて前記普通貨物自動車(以下被告車という)を運転し、県道岩村端浪線より右折して東南方向に進行し、前記踏切(以下本件踏切という)に差しかかつたが、その際一時停止および安全確認義務を怠り、漫然と踏切軌道上に突入したため、折柄花白駅を通過し、西進中の前記デイーゼル車に被告車助手席左側を衝突させ、よつて、亡重太郎に対し、脳底骨折、耳、鼻、目、口よりの出血、耳より大脳流出の重傷を負わせ、右傷害により同人を即死させた。なお、被告車は右衝突後そのままデイーゼル車に約七、八〇メートル引き摺られて大破した。

(三)  被告の責任

本件事故は、前記のとおり被告の一時停止および安全確認義務違反の過失により発生したものであり、また、被告は被告車の保有者でもあるから、民法七〇九条および自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)三条により後記損害を賠償すべき責任がある。

(四)  損害

(1) 亡重太郎の損害

(イ) 逸失利益 一〇八五万八五〇〇円

(年収および生活費)

亡重太郎は、本件事故当時、田畑約一町一反歩を自作するほか、酪農(十数頭の牛を飼育)、養鶏(数十羽の鶏を飼育)、養雉および剥製業を営み、年間三〇〇万円の収入を挙げていたものであるが、その生活費は多くとも右収入の二五パーセントを超えなかつた。

(労働可能年数)

亡重太郎は、本件事故当時満六六歳(明治四一年七月一七日生)であつたが、極めて健康体であつたから、あと五・六年は就労し得た筈である。

(逸失利益現価)

以上に基づいて亡重太郎の逸失利益の本件事故当時における現価を計算すると、次のとおり一〇八五万八五〇〇円になる。

300万円×(1-0.25)×4.826ホフマン係数=1,085万8,500円

(ロ) 慰謝料 四五〇万円

被告は、本件踏切が事故の続発する要注意個所であることを熟知しながら、一時停止および安全確認義務を怠つて本件事故を発生せしめたもので、その過失の程度は大きい。亡重太郎は原告幸江とともに六名の子女を養育していずれも独立させ、今後は安穏な老後の生活を期待していたのに被告の重大な過失により発生した本件事故によつてその志を達せず他界したことは、慰ずる術のない悲痛事であるが、敢えて金銭をもつて慰謝するとすれば、四五〇万円が相当である。

(2) 原告幸江の損害

(イ)  葬儀料 三〇万円

原告幸江は、亡重太郎の葬儀料として三〇万円を出捐した。

(ロ)  弁護士費用 八〇万円

原告幸江は、原告ら訴訟代理人に対し本件訴訟遂行の手数料および報酬として八〇万円を支払うことを約した。

(ハ)  慰謝料 一三〇万円

被告は、本件事故後自発的に原告らを慰問したことがないばかりか、亡重太郎の霊前において「死にたくて死んだのだ」と暴言を吐き、また、原告らやその親族が無謀な請求をすると不実の噂を流し、円満解決のため双方の仲に入つてくれた人の厚意にも理解を示さず手を引かせ、最後には、原告幸江方に若干の金を持参して一言の詫びもなく投げ捨てるように置いて帰宅し、原告らを著しく憤慨せしめた。かかる本件事故後の被告の態度も考慮すると、原告幸江に対する慰謝料は一三〇万円が相当である。

(3) 原告幸江以外の原告らの損害

慰謝料 各七〇万円

本件事故についての前記の諸般の事情からすれば、原告幸江以外の原告らに対する慰謝料は、一人当り七〇万円が相当である。

(五) 損害の填補および原告ら各自の請求額

原告らは本件事故に基づく自賠責保険金一〇〇〇万二一六〇円を本訴提起前に受領したので、これを亡重太郎の前記損害金に充当すると、右損害金残額は五三五万六三四〇円になる。

しかるところ、原告らは、亡重太郎の右損害賠償請求権を各自の相続分(原告幸江は三分の一、その余の原告らは各九分の一)に応じて承継したので、その額は原告幸江が一七八万五四四六円、その余の原告らが各五九万五一四九円になる。

したがつて、原告幸江の請求額は、四一八万五四四六円、その余の原告らの請求額は各一二九万五一四九円になる。

(六) 結論

よつて、被告に対し、原告幸江は四一八万五四四六円およびこれにより弁護士費用相当損害金八〇万円を控除した三三八万五四四六円に対する本件事故発生の日である昭和五〇年二月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、その余の原告らはそれぞれ一二九万五一四九円およびこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因(一)の事実および同(二)の(1)ないし(4)の各事実は、いずれも認める。

(二)  同(二)の(5)の事実のうち、被告が助手席に亡重太郎を同乗させて被告車を運転し、居町寺尾部落に赴く途中、本件踏切に差しかかつた際、国鉄デイーゼル車が被告車の左側に衝突し、この事故により亡重太郎が即死したことは認めるが、亡重太郎の受けた傷害の内容および死因については不知、その余の事実は否認する。

(三)  同(三)の事実のうち、被告が被告車の保有者であることは認めるが、その余の事実は争う。

(四)  同(四)の事実のうち、(2)の(ハ)の事実は否認し、その余の事実もすべて争う。

(五)  同(五)の事実のうち、原告らがその主張のように自賠責保険金を受領したことは認めるが、その余の事実は争う。

(抗弁)

(一)  他人性阻却の抗弁

被告が亡重太郎を被告車に同乗させたのは次の事情によるものであるから、亡重太郎は自賠法三条および民法七〇九条にいう「他人」には当らないというべきである。すなわち、

亡重太郎は、春日神社の総代をしていたが、その任期が満了したので再任を強く望んでいた。そのため、亡重太郎は区長をしていた被告に対し自己の再任運動・交渉を他の関係者にするよう要求を繰り返していたが、本件事故当日の朝も電話で被告に対し、再任の件で自己を居町寺尾部落の小木曽願一方に自動車で連れて行くよう要求してきた。しかし、当日は大雪で約三〇センチメートル以上も積雪があり、付近の道路状況が極めて悪かつたため、自動車の運転は危険と考えた被告は、右依頼を一旦は断つたが、亡重太郎の執拗な要求に抗し切れず、やむなくいやいやながら被告車を運転して亡重太郎方に赴き、同人を助手席に同乗させた上、右小木曽方に赴く途中本件事故になつたのである。被告としては、亡重太郎の再任問題について他の部落まで赴いて交渉しなければならない筋合は全くなく、被告車の運転は、亡重太郎の強情とさえいえる要求に基づいて同人のためにのみなしたものであつて、亡重太郎は強い運行支配性を有し、かつ、その運行利益は亡重太郎にのみ帰属していたのであるから、亡重太郎は自賠法三条および民法七〇九条にいう「他人」には該当しないというべきである。したがつて、被告には損害賠償責任はない。

(二)  過失相殺の抗弁

仮に、前記の主張が認められないとしても、本件事故が発生したについては、亡重太郎にも次のような重大な過失があつたから、大幅な過失相殺がなされてしかるべきである。

(1) 前記のとおり事故当日は大雪で自動車の運転が危険な状態であつたのに、亡重太郎は自己の都合のみで被告に運転を求めた。

(2) 本件踏切は上り勾配である上、当日は積雪で道路が滑り易い状態にあつたため、ある程度勢いをつけて線路を渡り切る必要のある場所であつた。しかも、本件踏切は、道路からの見通しが桑畑の桑の木のため不良であつたから、助手席の亡重太郎としても左方を注視警戒すべき義務があつたのにこれを怠つた。

なお、前述の亡重太郎が被告車に同乗するに至つた事情からすれば、本件においては単なる好意同乗の場合と異なり、全損害についてかなりの割合で過失相殺をすべきである。

(抗弁に対する答弁)

(一)  抗弁(一)の事実のうち、本件事故は、被告が居町春日神社総代の任期満了による後任者決定の件で亡重太郎とともに居町寺尾部落に赴く途中に発生したことおよび当日路上に約三〇センチメートルの積雪があつたことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)  抗弁(二)の事実は否認する。

第三証拠関係〔略〕

三 職権

原告良弘本人(第二回)

理由

一  請求原因(一)の事実および同(二)の(1)ないし(4)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  本件事故の態様について。

被告が助手席に亡重太郎を同乗させて被告車を運転し居町寺尾部落に赴く途中、本件踏切に差しかかつた際、国鉄デイーゼル車が被告車の左側に衝突し、この事故により亡重太郎が即死したことは、当事者間に争いがないところ、原本の存在および成立について争いのない甲第九号証、乙第七号証、成立に争いのない甲第六号証、甲第八号証の五、同号証の六の一ないし一五、同号証の一三、一四、一六、一七、乙第二号証、乙第九号証、証人鈴木勤一の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、証人西尾斎木、同鈴木勤一の各証言、原告良弘本人尋問(第一回)の結果によれば、更に次のような事実が認められる。

(1)  本件踏切は、幅員三・五メートルの南北の直線道路(以下本件道路という)と東西に走る国鉄明智線の単線線路とが直角に交差する踏切で、本件事故当時、踏切警手は置かれておらず、開閉機や警報機も設置されていなかつた。被告車は、本件道路を北の方から本件踏切に向かつて南進してきたものであるが、被告車と同様に北から進行してきた場合には、低い所から約一〇度ないし一三度のやや急な勾配の坂を登つて一度平担な所へ出、そこから又ゆるい坂を少し登つたところに本件踏切がある。本件道路は簡易舗装が施されており、事故当時通行可能であつた部分の巾員(有効巾員)は二・一メートルで、約三センチメートルの積雪があり凍結していたがその余の部分は約三〇センチメートルの積雪があつた。

(2)  本件踏切の見通しは、被告車と同様に北から進行してきた場合には左右とも良い。もつとも、明智線の線路は、本件踏切の東方約八〇メートルの地点付近から南の方へゆるくカーブしているため、右方の見通しに較べると左方の見通しの方が劣る。なお、被告車の進行方向から見て本件踏切の左手前に桑畑があるが、事故当時桑の葉はすべて落ちていたため、それ程見通しの妨げにはなつていなかつた(甲第八号証の六の一の写真参照)。一方、デイーゼル列車運転席からの見通しは、踏切の東方から進行してきた場合、本件踏切を通過する車両が通常一時停止する場所を、踏切の手前約一五〇メートルの地点から確認することができる。

(3)  当日の天候は前認定のとおり曇であつて、前日から降つた雪が路上に約三〇センチメートル積もつており、当時細かい雪がまた少しちらついていたところ、山岡町馬場山田地区内の道路は簡易舗装がしてあるが坂道が多いため、雪でスリツプし易い状況にあり、通行車両は極めて少なかつた。

(4)  被告は、被告車の後輪に滑り止めのチエーンを装着して同車を運転し、本件道路を南進して本件踏切に差しかかつたが踏切直前で一時停止および左右の安全確認をしないで踏切内に進入したため、折柄東方より進行してきた二両編成の国鉄デイーゼル列車の前部に被告車の助手席左側を衝突させ、被告車はそのままデイーゼル列車に約六〇メートル引き摺られて大破した。

(5)  本件事故により、亡重太郎は脳底骨折の傷害を負つて即死し、一方、被告は脳挫傷、全身打撲傷の傷害を負い、昭和五〇年二月二二日から同年三月二八日までは森川病院において、同年四月三日から同年五月九日までは岐阜県立多治見病院においてそれぞれ入院治療を受け、その後も現在に至るまで脳挫傷後遺症、外傷後水頭症の治療のため右多治見病院に通院中である。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

三  被告の責任について

前認定の本件事故の態様によれば、本件事故は被告の一時停止および安全確認義務違反の過失により発生したものというべきであり、また、被告が被告車の保有者であつたことは、当事者間に争いがない。

そこで、本件において亡重太郎が自賠法三条および民法七〇九条にいう「他人」に該当するか否かについて考えることとする。

本件事故は、被告が居町春日神社総代の任期満了による後任者決定打合わせの件で亡重太郎とともに居町寺尾部落に赴く途中に発生したものであつたことおよび本件事故当時路上に約三〇センチメートルの積雪があつたことは当事者間に争いがなく証人小木曽順一、同鈴木勤一の各証言、原告良弘本人尋問(第一回)の結果(後記措信しない部分を除く)および被告本人尋問の結果によれば、亡重太郎が被告車に同乗するに至つた経緯は次のとおりであつたことが認められる。すなわち、

山岡町山田にある春日神社の総代は、同町田沢区(氏子約九〇戸)および上山田区(氏子約一八〇戸)からそれぞれ二名宛選出され、その選出手続は、各区が構成員約二〇名の選考委員会を作り、選挙により二名宛の総代を決定していたものであるが、昭和五〇年三月三一日に四年間の総代の任期が満了するため、本件事故当日である同年二月二二日の午後に上山田区の選考委員会が、翌二三日の午後に田沢区の選考委員会がそれぞれ開かれることになつていた。ところで、亡重太郎は、当時田沢区選出の総代をしていたものであるが、かねてより、各区二名の総代のうち年長の者一名宛が更に半期務めた方が神事に支障を来たさなくてよいとの意見を唱え、留任を強く望んでいたが、他の総代らからは賛同を得られなかつたため、選考委員会が開かれる前に上山田区の総代の一人である小木曽順一を何とか説得し、自己の意見に同調させる必要があつた。そこで、亡重太郎は、事故当日の朝午前七時二五分頃、田沢区の区長である被告に対し、総代選任の件で寺尾部落の右小木曽順一方に車で一緒に行つてくれるよう電話で依頼した上、小木曽順一に対し「自分も残るからあなたも是非留任して欲しい。区長を連れて行かないことには話にならないから、両区長を連れて一緒にこれからそちらに出向く。」旨約三〇分間に亘つて電話し、小木曽から「自分は留任するつもりはない。雪が降つているし、選考委員会の前でもあるから余り動かない方がよい。」といわれたにも拘らず、これを聞き入れなかつた。一方、被告も、亡重太郎の依頼に対し「雪が降つているので、行きたくない。」と再三断つたが、亡重太郎から強く要請された上、被告自身区長として総代人選の取り纒めをしなければならない責務があつたため、やむなく被告車を運転して亡重太郎方に赴き、同人を同乗させた上(その際、原告良弘も亡重太郎に対し「こんな日は危いから」と言つて止めたけれども、亡重太郎は聞き入れなかつた。)、小木曽順一方に向かう途中、本件事故を発生させた。なお、亡重太郎は、単車の運転免許を有し、日頃単車を運転していたが、普通免許は有していなかつた。

以上の事実が認められ、成立に争いのない甲第八号証の一一の原告良弘の供述記載および原告良弘本人尋問(第一回)の結果中、右認定に反する部分(亡重太郎および被告が小木曽順一方に赴いた用件に関する部分)は、証人小木曽順一の証言に照らして措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、被告が事故当日気が進まないながらも小木曽順一方に赴くに至つたのは、亡重太郎からの強い要請があつただけでなく、被告自身区長として総代人選の取り纒めをしなければならない責務があつたためであるから、事故当日の被告車の進行による利益は、亡重太郎のみならず、被告もまたこれを享受していたものというべきである。そして、被告は事故当時被告車を運転し、その運行を支配していたものであるから、被告が運行供用者に当ることは明らかである。次に、亡重太郎について考えるに、右認定の同乗の経緯によれば、亡重太郎も、事故当日における被告車の運行による利益を享受し、かつ、被告車の運行を支配していたものというべきであるから、亡重太郎は共同運行供用者に当ると解するのが相当である。しかしながら、亡重太郎は終始被告車に同乗していたに過ぎず、被告による被告車の具体的運転に対して強く介入したことを認めるに足る証拠もないから、亡重太郎は普通免許を有していなかつたことからみて、被告車の具体的運転については専ら被告の裁量に委ねていたものと推察される)、被告による運行支配の方が亡重太郎によるそれに較べてより直接的、顕在的、具体的であつたというべきであり、したがつて、亡重太郎は共同運行供用者であつても、被告に対する関係では、自賠法三条にいう「他人」に含まれると解するのが相当である。また、同乗の経緯に関する前認定事実によつても、いまだ亡重太郎をもつて被告車の運転者と同視すべき者とは言い難く、他に亡重太郎を被告車の運転者と同視するに足る事情の存在を認め得る証拠もないから、亡重太郎は民法七〇九条にいう「他人」に該当する者というべきである。

以上の次第であるから、被告には自賠法三条ならびに民法七〇九条に基づく損害賠償責任があるというべきである。

四  損害について。

(一)  亡重太郎の逸失利益

成立に争いのない甲第一号証、第一〇号証の二、第一一号証、証人西尾斎木、同小木曽順一(後記措信しない部分を除く)、同鈴木勤一(後記措信しない部分を除く)の各証言、原告良弘本人尋問(第一、二回)の結果(後記措信しない部分を除く)によれば、次のような事実が認められる。

本件事故当時、亡重太郎方は、亡重太郎、その妻である原告幸江、その長男である原告良弘夫婦およびその子供二名の六人家族であり、酪農関係の仕事は専ら原告良弘夫婦が担当していたが、田九六六七平方メートルおよび畑一三九六平方メートルの耕作には、亡重太郎夫婦および原告良弘夫婦の四名が従事していたこと、亡重太郎の仕事は、農作業の手順、段取りや農業設備の改善等を指導するのが主で、農繁期には農作物の取入れ、出荷作業等にも従事していたが、その寄与率は二〇パーセントを下らなかつたこと、亡重太郎は、他に食用および剥製用として鶏を約二二〇羽飼育し、雉の卵を抱かせるためのチヤボも約三〇羽飼育していたが、半分趣味程度でこれによる収益は殆んどなかつたこと、税務署に対する昭和五〇年度の申告農業収入は五五万九七三四円であつたがこれは国に供出米四五俵を売渡したことによつて得た収入であり、この中には経費一八万一一二〇円が含まれていること、なお、農業関係の労働賃金は、普通の農作業の場合男子が一日七〇〇〇円、女子が一日六〇〇〇円程度であること、亡重太郎は、本件事故当時満六六歳(明治四一年七月一七日生)で健康であり、その扶養家族は原告幸江一人のみであつたこと、以上の事実が認められ、証人小木曽順一、同鈴木勤一の各証言および原告良弘本人尋問(第一回)の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、亡重太郎が本件事故当時現実に得ていた収入(年金収入分は除く)の推定年額は精々一五万円程度に過ぎないけれども(税務署に対する昭和五〇年度の申告農業収入から経費を除いた申告純収入は三七万八六一四円であるところ、右収入は国に対する供出米の売渡によつて得た収入のみで、自家で消費する米、野菜等の価格相当額の収入は含まれていないから、一応右純収入の二倍である七五万七二二八円を総収入と見積つた上、これに亡重太郎の寄与率二〇パーセントを乗ずると、亡重太郎の年収額は一五万一四四五円になる)、右収入額は低きに失するため、これをそのまま逸失利益算定の根拠にすると、有職者で現実収入額の立証が困難な者や十分働く意思と能力を有している無職者に認められる逸失利益額と均衡を失し、相当でないといわざるを得ない。本件の場合、亡重太郎は事故当時健康であり、必要が生ずれば同年代の平均人と同様に稼働する意思と能力を有していたものと認められるところ、前認定の農業関係の労働賃金額および亡重太郎の年齢からすれば、亡重太郎は一ケ月当り少くとも一二万五〇〇〇円(日当を五〇〇〇円とし、一ケ月間に二五日就労し得るものとして計算した額)の収入を挙げ得る稼働能力を有していたものというべきであるから、以下右金額をもとにして稼働能力喪失による逸失利益額を算定することとする。

しかして、前認定の亡重太郎の年齢、健康状態、扶養家族数からすれば、亡重太郎の稼働可能年数は六年、その生活費は収入の四〇パーセントと認めるのが相当であるから、亡重太郎の逸失利益の本件事故時における現価は次のとおり四六二万〇六〇〇円になる。

12万5,000円×12×0.6×5.134ホフマン係数=462万0,600円

(二)  亡重太郎および原告らの慰謝料

前記甲第一〇号証の二、証人西尾齋木、同小木曽順一、同鈴木勤一の各証言、原告良弘本人尋問(第一回)の結果によれば、本件事故当時、亡重太郎の子である原告山中弘子、同松野弘邦、同伊藤直治、同伊藤重樹および同森屋正治はいずれも既に成年に達し、他家へ嫁したり就職したりしてそれぞれ独立していた上、亡重太郎方の家業は原告良弘夫婦が主体となつてやり、相当の収入を挙げていたため、亡重太郎は物心ともに余裕のある生活を送つていたことが認められる。

ところで、原告らは、本件事故後被告は亡重太郎やその遺族である原告らを侮辱する言動をしたと主張し、証人西尾齋木の証言および原告良弘本人尋問(第一、二回)の結果中には右主張に副う供述部分があるけれども、右供述部分は証人鈴木勤一の証言に照らすとにわかには措信し難いものといわざるを得ない上、成立に争いのない甲第八号証の七および一〇ならびに右鈴木証人の証言によれば、被告は、本件事故によつて前認定の傷害を受け後遺症も残つたため、その言動に普通でないところが時々あり、その状態は少しづつ良くはなつているけれども現在も続いていることが認められるから、たとえ、被告の言動に原告らをして不快の念を抱かしめるものがあつたとしても、これを慰謝料算定にあたつて斟酌するのは相当でないというべきである。

しかして、右認定事実の他に、亡重太郎の年齢、本件事故の態様等諸般の事情(但し、亡重太郎の過失は除く)を考慮すると、亡重太郎の慰謝料は三五〇万円、原告幸江のそれは一五〇万円、その余の原告らのそれは各五〇万円とするのが相当である。

(三)  葬儀料

原告良弘本人尋問(第一、二回)の結果および弁論の全趣旨によれば、原告幸江は亡重太郎の葬儀費用に一二〇万円ないし一三〇万円を要したことが認められるところ、社会通念に照らし、五〇万円の限度で損害として認めるのが相当である。

五  過失相殺について

前認定の本件事故の態様および同乗の経緯によれば、本件事故当日は、路上に約三〇センチメートルの積雪があり、しかも山岡町馬場山田地区内の道路は坂道が多いところからスリツプし易く、車の通行は危険な状況であつたにも拘らず、亡重太郎は、総代留任についての自説に執着する余り、小木曽順一や原告良弘の制止を振り切り、気の進まない被告をして被告車を運転させたものであるところ、右のような危険な道路状況が被告の過失を誘発せしめたものというべきであるから、亡重太郎は自己の希望で危険の可能性を甘受したものといわざるを得ない。すなわち、積雪が約三〇センチメートルもある場合には、物音が雪に吸収されて聞き取りにくくなることは経験則上明らかな事実であるから、本件の場合も、被告がデイーゼル列車の接近音に気付きにくかつたであろうことは容易に推察し得るところである。また、前認定のように、本件道路を本件踏切に向かつて南進してきた場合には、踏切が高い位置にあるため坂道を登らなければならない状況にあるところ、当時、本件道路のうち通行可能部分には約三センチメートルの積雪があり凍結していたのであるから、被告は後方に滑り落ちないようにある程度勢いをつけて踏切を渡ろうとし、そのためデイーゼル列車の接近に気付いたときには最早止まろうにも止まれない状態になつていたのではないかとの推測も充分成り立つというべきである。したがつて、亡重太郎としては、事故当日被告に対し被告車の運転を依頼することは慎しむべきであつたのはもとより、一旦同乗した以上は、本件踏切のような危険な箇所では車から降りて安全を確認した上、被告車を誘導すべきであつたというべきであり、本件事故が発生したについては亡重太郎にも重大な過失があつたものといわざるを得ない。

したがつて、本件事故により発生した全損害について、亡重太郎が三、被告が七の割合による過失相殺をするのが相当というべきである。

六  損害の填補について

本件事故により発生した損害の総額は前認定のとおり一三一二万〇六〇〇円であり、これに前認定の割合による過失相殺をすると九一八万四四二〇円になるところ、原告らが本訴提起前に自賠責保険金一〇〇〇万二一六〇円を受領したことは当事者間に争いがないから、被告が賠償すべき損害は本訴提起前に既に全額填補済みというべきである。

したがつて、本訴提起に基づく弁護士費用は損害として認めることができない。

七  結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 棚橋健二)

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